『このサイテーな世界の終わり シーズン1』(2017)サイコパスの少年と、人生のすべてを変えたい少女が思いついたロードトリップ。【Netflixオリジナル】

Netflix
!ネタバレ有りの感想です!

100点

さいこうだった。めっちゃ好き!
イギリス産の映画にハズレがないんじゃないかと思えて来るほど、ここ数年イギリス作品贔屓になっている。
ブラックミラーのような陰鬱な雰囲気があるこの映画。イギリス国民大丈夫?日本みたいに鬱とか多くない?同じ島国文化で似てるのか…?
日本のドラマじゃあまり見ないけど、アニメや文芸、マイナーな映画でたまに見るダークな雰囲気の物語。
1話ごとが短くて、全8話と話数も少ないので全話見ても長めの映画くらいの印象。

『このサイテーな世界の終わり』(2017)


(原題:The End of the F***ing World)
制作国:イギリス
キャスト:ジェシカ・バーデン、 アレックス・ロウザー、 スティーヴ・オーラム

Netflix作品ページ

あらすじ

サイコパスの少年と、人生のすべてを変えたい少女が思いついたロードトリップ。けど、その道程は、思った以上に山あり谷ありで…。漫画が原作のブラックコメディ。Netflix

転校生のアリッサは、学校で変わり者のジェームスに自分から積極的に寄っていって恋人になる。恋をした、という感じではなく、とりあえず恋人が欲しくて手頃なのがジェームスだった、という感じだ。恋人が欲しいというのも同年代への焦りや恋がしたい、なんて華やかなものではなく、閉塞感を感じる日常を変えたかったんだろう。
ジェームスは自分をサイコパスだと思っていて、小動物や野良猫を殺している。そして次は人間を殺したい、という欲望を持て余していたところに飛び込んで来たのがアリッサ。ちょうどいい、とばかりに恋人ごっこをしながら殺す機会を探ることにする。

アリッサの家は母親が再婚して、新しい義父、そして母とその義父の双子の赤ちゃんがいる。義父がとってもヤな奴で、アリッサを邪魔もの扱いしている。そして実の母もそれに勘付いていながら見てみぬフリだ。「気にくわないなら出て行ったらいい」と言われてアリッサは家出を決意する。もちろん彼氏のジェームスも連れて。
ジェームスも家族に対して問題を抱えていて、幼い時に母親が目の前で自殺したことを期に”普通”から外れてしまった。

そんなふたりが家出の道中に色んな体験をして価値観や考えが変わっていく成長ストーリーなんだけど。ただの綺麗な成長物語じゃないところがまさにイギリス制作といった感じ。

ヒッチハイクで車に乗せてくれたおじさんが少年愛好者なのか、ジェームスがトイレでおじさんの性器を触れせられたり。暫く人が出入りしてなさそうな豪邸を見つけて忍び込んだら、そこが連続少女暴行殺人犯の家で帰ってきた殺人犯にアリッサが襲われジェームスがその殺人犯を殺してしまったり。その殺人によって少し近づいていたアリッサとジェームスの関係がギクシャクしたり。
逃避行はどんどん悪い方へと転がっていく。

家出が殺人からの逃亡に変わり、助けを求めてアリッサの実の父の元へ向かうことにするふたり。
正当防衛かつ、自分は手を下してはいないものの、殺人の共犯という自覚にアリッサは不安定さを増し、少女連続暴行殺人犯のスナッフビデオを見たり、実際に殺人を犯したジェームスはホンモノの殺人というものを知って自分がサイコパスではないのではないかと疑い始める。

アリッサの実の父の元に辿り着き、父の生活する海辺のトレーラハウスに身を置くふたり。豪邸での殺人もふたりの仕業ということは判明していて、徐々に捜査の手も伸びてくる。
アリッサの実父がこれまたどうしようもないクズ野郎で、未成年にクスリを売って生計を立てているわ。次の奥さんとの間に子供がいて、そのことがアリッサにバレて問い詰められると癇癪を起こして犬を轢き殺しても気にせず逃亡するわ。アリッサとジェームスに懸賞金が掛かっていると知れば何の躊躇もなく通報するわで…義父がマシに思えてくるほどのクズっぷり。

ふたりを追うのはレズビアンのバディ刑事なんだけど、その片方がふたりの家庭環境や、連続少女暴行殺人犯のことなどを汲み取って救いの手を差し伸べてくれる。トレーラーハウスに他の警官たちより先に来て、大人しく投降すれば口添えするから。と。
それに対してアリッサは捕まったあとジェームスと一緒に居られるのか、と問いかける。一緒に居ることが難しいと言われるとアリッサはふたりで居たい、と刑事を刺してジェームスと逃げる。
しかし、遅れて到着した武装警官たちに追われ、もう逃げる先もない。絶体絶命の状況で、ジェームスは自分ひとりが罪を被ることに決める。
アリッサを殴って気絶させ、浜辺にひとり走り出すジェームス。ジェームスを撃つ無数の銃弾。というところでドラマは終わる。

中二病とそこからの脱却

中二病というのは、世界に対して知識だけが先行して体験が不足している状態が引き起こすんじゃないだろうか。

自力で行動できる範囲は限られていて、学校と家と生活圏内の街くらい。メディアでその外に世界があることも、色んな人生があることも知っているけどなかなか実際に触れることはできない。そんな状態が自分のちっぽけさを実感させ、知識だけの世界を狭く見せたりする。
”知っている”だけに、頭の中で構築されたもの以上・以下の見方をできずに世界や他人を見下したり、過度な幻想を抱いたりするのかもしれない。
ジェームスが自分をサイコパスだと思っていたのも、知識の中のそれに自身が似ているところや当てはまるところがあったからだろう。しかし、ホンモノのサイコパスに出会ったときに知識以上のものを感じ、実際のスナッフフィルムを見ても高揚感や達成感は得られず自身が凡人だと気付いたわけだ。アリッサと行動して変化が生まれたというよりは、実際の体験をすることで変化した、というのがこの映画の好きなとこでもある。安直な恋愛で救われた、愛のパワーで”普通”になったとは違う。アリッサに手を引かれて飛び出し、彼女のせいで色んなことに巻き込まれはしたが、彼の変化は彼自身ものだ。

アリッサも義父が嫌なやつであることや、遠く離れて会えないことから実父に対して実際以上の幻想を抱いていた。思い出は美化される、実際は想像ほど良くない的なことを終盤でアリッサが語っているが、彼女の世界も知識と想像で作られていた。実父か義父か、という二択だけだったのが、道中で様々な大人の男性と出会って、それだけでないことを体感しただろう。
自分をサイコパスだと思っていた少年と反抗的でメンヘラっぽいアリッサ。道中共依存に見えるところもあったし、そうなりかねない関係だが、逃避行を越えてそれでもジェームスと居たいという感情を選んだアリッサはそうは見えなかった。

ラストシーン

ジェームスの生死は明らかにされなかったが、おそらく撃ち殺されてしまうだろうという終わり方。ハッピーエンドとは言い難いラストだが、その残酷さ美しいと思った。だからシーズン2は作らなくていいよ!!
目の前で母に自殺され、遺される者の痛みと葛藤を知っているはずのジェームスが、アリッサをひとり遺してでも守ろうと思った。
ハッピーではないが美しいラストじゃないだろうか。

Netflixオリジナルの『キミとボクの距離』と同様、ティーン・エイジャーの男女が逃避行する話だが、おもしろいくらいにパッキリ真逆に陰と陽である。こんなにも違うか、と笑えるほど。
『キミとボクの距離』も大好きなので、ティーン・エイジャーの逃避行モノ(女の子の気が強め)が好みなのかもしれない。

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