!ネタバレ有りです!
なんというか…全てに於いて既視感がある映画だ。『どっかで見たことある』って言いたくなる展開のオンパレードで、オリジナリティを感じる部分が少ない。。
年末年始のホリデーシーズンに公開だったのでさぞ気合の入った映画だろうと期待していたんだが、その期待を見事裏切られた映画だ。
『ミッドナイト・スカイ』(2020)
あらすじ
北極圏に独り残った科学者は、地球全体が大惨事に見舞われたことを知り、帰還途中の宇宙飛行士らと交信し、地球には戻れないことを伝えようと手を尽くす。Netflix
『ミッドナイト・スカイ』はこんな話(ネタバレ有り)
Good morning, midnight. #TheMidnightSky is now on @Netflix. pic.twitter.com/capggvWZ0U
— The Midnight Sky (@midnightskymov) December 24, 2020
地球は放射線汚染によって人類が住めなくなり、みんな他所の星へと移住(地球脱出)していく中、主人公であるオーガスティン博士は独り孤独に地球に残ることを決める。
北極の天文台に独り。自身の病と地球、どちらも余命わずかな中で過ごすオーガスティン博士は、移住船に乗り遅れた言葉の喋れない少女『アイリス』を発見する。
一方、惑星探索に出ていた宇宙船『アイテル』は地球の現状を知らないまま、連絡も取れないまま帰還しようとしている。
『アイテル』には五人の宇宙飛行士が乗っていて、そのうちメインとなるサリーはなんと船内で妊娠している(!)
そんな『アイテル』と連絡を取り、地球の現状を伝えて「引き返せ」と言うためにオーガスティン博士はアンテナを直すため、少女・アイリスを連れて極寒の湖へ向かったり。宇宙船『アイテル』は流星群とぶつかり、破損した宇宙船を直すために船外活動に立ち向かったり(お決まりの船外活動で仲間がピンチに陥り、命を失う)
数々の危険を乗り越え、交信できたオーガスティン博士と宇宙船『アイテル』。『アイテル』の乗組員四人は自分たちがこの後どうするか、の決断を迫られる。
- 生存が不可能であっても、自分たちのホームである地球に帰るか(=地球と心中)
- 引き返し、新しい星で生きる希望に賭けるか
ここで『アイテル』の四人は
- 家族が眠る土地である地球に自分も帰る、船外活動で亡くなった宇宙飛行士・マヤを地球に帰してあげたいと帰還を決める二人と
- 新たな星で命を紡ぐことを決める二人
の二手に分かれる。
それぞれの決断に向かって進むラストの中、『アイテル』の宇宙飛行士、サリーは、オーガスティン博士が過去に手放した娘だったことが発覚し、オーガスティン博士とずっと一緒に居た少女『アイリス』はその娘を投影した幻覚だった。というのが重要なところを拾ったストーリー。
既視感だらけだけどいいところもあるよ!
Caoilinn Springall, who plays Iris, had never acted before. George Clooney cast her because her eyes could tell a full story. #TheMidnightSky pic.twitter.com/ytx0k4t59L
— The Midnight Sky (@midnightskymov) December 23, 2020
うーん、既視感しかねぇ。
『アイリスという少女は博士が生み出した幻覚だった』ってネタも、目新しさも無ければ意味も掴みにくい。登場するキャラクターが実は幻覚でした!って場合、もっと伏線を張ってくれないと驚けなくない…?
この映画の場合は”アイリスが喋れないこと”を幻覚である伏線にしてるんだろうけど、それだけじゃ弱いような…。地球側の登場人物がほぼ二人なので、他人が介在するシーンも少なく、アイリスが幻覚であるが故に生じる違和感(他のキャラクターから見えていないような振る舞い、会話が幻覚抜きでも成立するように仕組まれているとか)が殆どないのでまさか幻覚とは思わないし、思わない故に必要とも思えない。
それくらい博士は娘と共に過ごせなかったこと、父親になれなかったことを終末に悔いているって表現なんだろうけど、それなら夢で魘されるだけでも良かったような…??彼女が幻覚であった意味とは…?が気になってしまった。
船外活動で負傷。からの~、仲間を失う流れは至るところで見過ぎてちょっと食傷気味だ。この展開抜きか、やるにしてももっとハラハラさせるとか味付けがほしいな〜。なんというか盛り上がりに欠けるんだよな。元々流星群にぶつかった中、船外へ出てるので、また流星群が来ることも想定済みだし、宇宙船から出て見た生の宇宙がべらぼうに綺麗に描かているわけでもなし…。あと、地球と宇宙船の二つの場所(さらに宇宙船内は五人も乗ってる)ので、命を落としたマヤに対してそこまで思い入れができる前に死んでしまった感もある。
ラストのそれぞれが自分で道を決め、別れ、進んでいくところは現代的だな、と思った。(他は全体的に古臭い)
これまでの類似作品なら、宇宙飛行士たちがそれぞれの意見を対立させながらも、合理的に最善だと思うたったひとつの方法、に向かって全員で進んでたはずだ。そもそも宇宙飛行士という〝キャラクター〟は合理的で、意思決定の際に優先順位を明確化できる性格である。
『人類のために』今自分が取るべき行動はどれか?『自分のために』今すべきことは?『この状況で』優先されることは?というのが考えられる人間である。それができないと宇宙船に乗れないから。
なので、ラストの〝宇宙飛行士〟としての正しい選択は『人類として』少しでも生存可能性が高い新しい星へ引き返す、が正解なはずだし、従来の類似SFならそこに帰結するか、あるいは合理性よりも感情が大事というテーマにし、正解と分かっていながら反故したか、のどっちがだろう。
それをこの映画では、個人それぞれの意志に従って『別々の行動』をすることを良しとした。
そのせいでやっぱりちょっと薄味なんだけど…各人の意志を尊重し、自分の未来や幸福は自分自身で決める物だって言うのは他の展開や演出に比べて現代的だし良かったな。
ラスト、妊娠した宇宙飛行士サリー(=アイリス)とそのパートナーであるゴードンがお腹の中の赤ちゃんと三人で新しい星へ向かう姿は『アダムとイブ』を連想せずには居られない。
ここに来て『アダムとイブ』をやる?21世紀だぜ?って思っちゃった。
地球が住めなくなるほどの未来の話で、人類の大きなひとつの時代を終えて、新しい世界に向かう時に歴史は繰り返す、みたいな『アダムとイブ』なの?
この映画は簡単にまとめちゃうと『父と娘の話』、『家族』の話なので、繰り返し紡がれていく、という点からすればその展開も間違ってはいないんだけど、古臭すぎてダサいな……と感じる。
監督のジョージ・クルーニー曰く、『半分以上音楽で構成した』というインタビューがあるように、音楽を聞くように感じる映画なのだと思う。それであれば、既視感がある展開も『体に馴染んだリズム』として心地の良いものだと捉えられるし、ストーリー性のキズに対する愚痴もお門違いだろう。クラシック音楽のような雰囲気はあったし感じたので、この作品が音楽ならばきっと製作者の意図通りのできで、私が求めるものではなかっただけだ。